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「地震酔い」と「めまい」の話

生活

1ヶ月くらい前から研究室の椅子に座っていると「お、地震か?」と思うことが多くなりました。本当に地震が発生してから1分くらい揺れが止まらなくて、あの研究室独特の高い本棚から大量の本が降り注いでくるか…!?と心配になったことも何回かあったけれど、たいていの場合は私の勘違い。嘘ではなく、実際の地震の10倍くらいは揺れたかも、と思うときがあります。今日も3回くらいありました。ここ数日は私が「いま揺れたよね?」という顔をするだけで研究室の同期に「またまた〜」とたしなめられるようになってしまいました。 

そんな感じで、揺れたかも?と思うたびに周りをキョロキョロしてしまうので、物事にあまり集中しずらくなってちょっと困っています。同じような人はいないのだろうか、何か対策はないのだろうか…と思って検索したら今の症状に見事にヒットする記事を発見。 

www.nurse-diaries.com

この揺れていなくても揺れている感じ、「地震酔い」という立派な名前が付いていました。

東日本大震災後、地震が起きていない時でも揺れているように感じる人がおおく、地震酔いと言われています。熊本地震でも、地震酔いの症状が起きている場合もあると考えられます。

めまいの原因3つのタイプと地震酔い~生命に関わる病気があるかも! - ナースほど誇れる仕事はありません

そうか、めまいの一種だったのか…。 

この記事の中ではめまいが「ふわふわ」「ぐるぐる」「くらっと」の3つに分類される、と書いてあるのですが、私の場合は「ふわふわ」と「くらっと」が多いですね。地震酔いなど頻繁に起こる現象は「ふわふわ」、立ち上がったときやお風呂から上がったとき、立ちっぱなしでいるときには「くらっと」が起こります。後者の「くらっと」は私が認識していた「めまい」の症状だったけど、まさかこの「地震酔い」に該当する「ふわふわ」する感じもめまいのひとつになるとは知りませんでした。というかみんな起こるものだと思ってたよ。 

記事を書いたレディ・ジョーンズさんが上げている症状で、「脳の病気を疑ったほうがいい」と恐ろしく書かれているものにもいくつか当てはまりました。

  • 身体の片側にしびれや麻痺
  • 意識がなくなる
  • 後頭部から首の付け根に痛みがある
  • ものが二重に見える 

「意識がなくなる」は先日入院したときにお医者さんや看護婦さんに相談しました。私の場合、最高血圧が80mmHg、最低血圧が50mmHgという重度の低血圧だったのが影響しているのではないか、とのこと。積極的に血圧を上げるような食事をしたり(嬉しいことに味の濃いものを食べろと言われた)しています。「身体の片側にしびれや麻痺」はたまに右側だけ顔がピリピリしたりしますが、翌日になっていたら治っていることが多く心配だなあと思いつつ放置しています…。あとは後頭部の痛み。鈍痛がここ1ヶ月くらい続いています。最近ピルを飲み始めて体調不良が続いていたので、その延長線上かもしれないのですが、それにしても肩こりとつながっているような痛みがあり…なかなかつらいです。これに伴ってものが二重に見えることもしばしばあります。

ずっと読んでいくと「ふわふわ」「ぐるぐる」「くらっと」の症状によって異なる原因が考えられる、とあります。大雑把に言うと

  • ふわふわ→ストレスか生命に関わる脳の病気(脳卒中、脳腫瘍)
  • ぐるぐる→耳の器官(メニエール病突発性難聴など)
  • くらっと→自律神経の失調、過労、ストレス

このあとのメカニズムでも触れていますが、めまいが起こるのは主に「脳」か「耳」が損傷を受けているためであるらしい、あとはストレスなどの精神的なもの。ほとんどの休日を寝て過ごす私には「睡眠不足」は関係ないと思うけれど、ストレスが溜まっていないかと言われれば首を横に振るしかないわけで。でもこの生活をどうやって変えろというんだー。

この記事を読むと「ふわふわ」が一番危ない気がしますね。生命に関わる脳の病気って…怖い。今年の初めに同級生がくも膜下出血で亡くなったり、本当に人ごとじゃないです。一度きちんと診てもらわないといけない、とまた改めて感じた記事でした。

 


そういえば、不本意ながら自分で自分のブログの読者になりました。

先日はてなブログのアプリをダウンロードしてからずっと下書きメモ用に使っていたのだけど、今日うっかり間違えてタイトルだけしか書いていない記事を公開してしまい、慌てて非公開設定にしました。このときにちゃんと消されているか確認しようと自分のブログに飛べるボタンを探したが見つからず。あるのは記事の編集ボタンと読者になったブログを閲覧するボタンのみ。これはもしかして…と思って自分のブログの「読者になる」ボタンを押したらあっさり読者になりました。アプリで確認すると、他の愛読しているブログの中でちょこんと私の記事が顔を覗かせていて、間違えてアップした記事がちゃんと非公開に戻っていることも確認できました。とりあえず一件落着。

しかしながら、私が一方的に読者になっている錚々たるブロガーさんたちの神々しい記事の中に、厚かましくもお邪魔するかたちとなってしまいました(私のアプリの中だけだけど)。それでもとても申し訳なく思うのです。それに誰かに「みくさんは自分で自分のブログの読者になっている」と気がつかれたら恥ずかしい。運営さんなんとかしてください。

思わぬ収入が手に入った

その他

私の実家では父と母の家計が別だ。

両親は自営業として同じ屋根の下で働いているので、得られる収入の出処は同じなのだけど、

それをきっちり2人で分けて、2人とも自由にお金を使って生活している。

内訳は父:母 = 3 : 1くらい(なぜそうなのかは知らない)。

同じ家で生活しているのにお互いがお互いの財布の中でやりくりをしているから、

食事も違うものを食べる日が多いしシャンプーやリンスが共用になることはない。

外食をするときなどは、子供である私と弟はどちらか一方についていく。

(うちは子供も男と女が一人ずつで本当に良かったと思う)

一家4人で旅行なんて言語道断で、小学生の頃にUSJに行ったときも母は不在だった。

 

でもやっぱり生活していると外食や日々の雑費など

自分が使う分だけを買う以外の出費、たとえば入学金、制服代、授業料、塾代などの

「子供のお金」なんかが出てくるわけで、こういった出費は話し合って

どちらか出すか決めているらしかった。中学生の頃、母に

「お父さんからお金もらえてないから塾代を出すのちょっと待ってもらって」

と言われて、そのときは父親が一家の経済面を管理していると思っていたのだけど

ただ母が「娘の塾代を父が負担する」という話し合いのもとに

得られた結果に沿って行動しているだけであった。

 

娘が23歳になった今でもその慣習は続いている。

(というか子供二人が実家から出たことによってより一層その気が増した気がする。)

で、結局先日の私の入院費は「父が全額を負担する」という結論になったらしい。

しかし実を言うと、私の場合は大学から出る補助+申請した高額医療費の免除分+

保険料でほとんど無料で治療を受けられたはずだった。

そしてこの控除や保険の手続きは全て私と母が行い、

父は入院費の領収書だけ見て母に入院・治療費を渡した。

つまり、母が大学から補助が出ることと役所への申請ができることを黙って

父から私の入院費を搾取した、ということになる。

結果的に、そのマージンの一部が口止め料として私のところにもやってきて、

思わぬ収入が手に入ったのだった。

 

私としては今月の生活費がちょっとバカにならないくらいピンチだったので

とても嬉しいけれど、おろかな父にも、あざとい母にも同情してしまう。

まあ別に一家全体の家計にプラスマイナスはないから別にいいのだが。

 

そういえば私が大学院に入学したときも、

母は「同じ大学からの入学者は入学金が半額免除になる」という事実を伏せたまま

父に入学金をもらおうとしていた(ネットで検索され未遂に終わった)。

ずる賢く非道徳的ではあるけど、たとえ相手が自分の夫だろうと

頭を働かせて置かれた状況からいかに生き延びるか考えることができるところも含めて

母のことは尊敬したい(そして思わぬ収入に感謝したい)と思う。

人はなぜ感動するのか

映画

YouTube岡田斗司夫シン・ゴジラ評を観ていたときに語っていた

人はなぜ感動するのか」という話が興味深かった。

確か一番下に載せた動画だったと思うのだけど、

すぐにその該当箇所が見当たらなかったので概要だけメモ。

 

「人は、自分がなしえなかったことを他人ができるようになったこと

感動するんですよね。

例えばイチローが活躍する姿を見るとみんな感動しますよね。

テレビの中のイチローは観客ができなかった偉業を成し遂げていきます。

そのように、自分が努力を怠ってできなかったことを他人が達成することで、

自分が許される気持ちになるから、人は感動するのです。

自分が怠惰でいることを許されるから、心を動かされるんです」

 

なるほど。

 


岡田斗司夫ゼミ8月7日号「シンゴジラのテーマを掘り下げる~ネタバレ御免の一問一答SP」

 

 

よく関西弁出ないねと言われるのだけど

演劇

私の標準語の先生はラーメンズの2人だ。

 


ラーメンズ 第9回公演 鯨 「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」

 

「〜じゃん」「〜だよね」という語尾から、細かいイントネーションまで

真似していると標準語になる。

東京に出てきてからよく「関西弁が全く出ない」と言われるのだけど、

彼らのコントをずっと聞いてきたからだと思う。

絶対に言わないけど。

 

なまりが出て困っている人は、ラーメンズを観てると

自然と「東京ことば」「横浜ことば」になると思うのでおすすめです。 

何もしたくない

その他

何にもやりたくないんだな、と最近気がついた。

 

学生の頃は平日は授業にサークル土日はアルバイトと勉強の生活だった。

友人もそれなりにいたので飲み会が入ることもしばしばあったし、

ぽっと日曜日が空くと美術館やお芝居のチケットを取って観に行った。

長期休みになると2週間以上連勤の派遣のバイト、旅行、帰省、サークル合宿...。

恋人がいたときはデートもしなくてはならなかったし、

相手を泊めちゃうとうまく眠れなくて次の日は使いものにならなかった。

4年生からは研究生活が始まったから、年末年始を除いてほとんど研究室。

それでも土日は朝から夜までアルバイトをしていた。

結局大学生だった4年間、院生の1年間はほとんど休んだ記憶がない。

田舎から出てきたから「東京にいるのに何もしないのはもったいない」

という気持ちもあったし、なにより生活費の確保に奔走していた。

就職活動が終わってからバイトも再開できない「空きの日」ができたのだけど、

その間も何かやらねばとTOEICの参考書片手に図書館にこもったりしていた。

それからしばらくして入院した。

 

入院してからはいろんな人に「休め」と言われ、

退院のあともずっとアパートの自室に1人でこもる生活を1週間ほど続けた。

というか、退院してからすぐは熱を出したり咳が止まらなかったり吐き気がしたり、

ありとあらゆる体調不良に見舞われて、外に出れなかった。

そうやって強制的に「何もしない」生活をしていると、何かに蝕まれるように、

徐々に、本当の意味で「何もしなく」なった。

退院してから平日の研究室への復帰はあっという間だったけど、

土日は動く体力がなくなった。

体調の良し悪しに関わらず、休日はお昼前に起きてご飯だけ買って、

夜になるのを待つだけの生活をしている。

今は映画1本見るのにもかなり体力を使っている。

 

こんな状態になってぼーっとSNSを見ていると、

高校や大学で同級生だった友人が仕事に研究に学会発表に誕生日会にライブに...

とせっせと活動しているのがまるで別の世界の出来事に見える。

これまでなら無意識のうちに「いいね」をつけていた投稿も

目の前をただ素通りしていく。

それで、気がついた。

 

私の中から羨望の感情が消えている。

 

これまでは友人が何かの大会で賞をとった、海外旅行に行った、有名人に会った、

◯◯を買った、結婚した、子供ができた、、、その何もかもが羨ましかった。

それは彼ら(彼女ら)が私には得られない幸福をつかんでいるからだ。

私もその中に入りたくて、自分にしかない特別な体験をしようと

ずっともがき続けていた。

これは「嫉妬」というより「憧れ」に近い感情だったと思う。

この感情をポジティブなアクションへと変換できるように努力していた。

 

でも、なぜか、今になってそんな気持ちが何ひとつ無くなってしまった。

同級生が私が落ちた会社に受かっても、諦めた海外発表に行っても、

悔しいから自分も頑張ろうと思わなくなった。

ただ、今は「何もしたくない」。

むしろ、入院を言い訳に「何もしない」状態に落とし込めたことが

私のあるべき状態なのだったのではないかと思う。

 

来年の3月までは必要最低限、修士論文の作成だけしておけばいい。

あとは本当に何もしたくない。

実家が田舎なのだけども

その他

私(小学生)「時給の高いアルバイトってなんやろ?」

父(当時)「パチンコ屋の姉ちゃんやろ。

あのタバコの臭いとうるさい中でミニスカ履いて働くんやから」

と言われて、ああ、じゃあ大人になったら我慢してパチンコ屋さんで

働くことになるかもな、と本気で思っていた。

 

…というの、「地元地域がいかに田舎かを伝えるエピソード」のひとつ。

 

昨日「牛丼屋さんがファミレスの形態(一戸建て・駐車場有)」

「JRしか電車が通ってない」などという話題が上がって

またもや実家が想像の範囲外の田舎であることを露呈してしまった。

そういえばその流れで「鰻を食べたことがない」と話したら

「は?どういう意味?」とドン引きされたのですが、

本当に食べたことないから好き?って聞かれても答えようがないし

どうすれば良かったんですかね…。

ロリータファッションについてあれこれ

ファッション

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写真:Shuji Moriwaki

 

10年くらい前、ロリータファッションが大好きで

BABY, THE STARS SHINE BRIGHTmetamorphoseの服を着ていた。

まだ中学生だったからアメリカ村や三宮に一人で遊びに行くことは許されず、

母や父を連れてよく行っていた。

実家がクリーニング店で「貧乏でも服は良いものを着る」というのが

家訓のような環境で育ったおかげで、たまにお年玉を叩いて

ワンピースに3万円使っても両親は許してくれた。

特に母はもともとPINK HOUSEなどを好む人だったから、

ロリータには賛成どころか大好きだったんだと思う。

KERAゴスロリバイブルを見て「若い頃にこんな雑誌があったら良かった」

という旨の発言をしていたように記憶している。

 

ロリータは着ているだけで勉強になることがとても多かった。

まず初めに、私は「周りに見られる」という圧倒的事実を覚えた。

ここで浴びるのは

「周りの人がちらっと一瞬こっちを向いて何事もなく過ぎ去る」目線。

たまに車いすで生活している人などが苦言を呈するタイプの眼差しだ。

街中でロリータを見たことがある人ならわかると思うけど、

ほんとうにあの服装は「違和感」の塊だ。

だから、分からないこともなかったけど...それでもやっぱり、

はっきり言って嫌な気持ちしかしない。

この目線に「普通の人」ってこんなに簡単に敵意をむき出しにするものなんだな、

と最初はびっくりしていた。

初めのうちはそんな感じで人の好奇の目に晒されてることがあまりにもむずがゆくて

着ること自体が嫌になった時期もあったのだけど、

これにはしばらくすると慣れていった。

知り合いに変な目で見られるのも恥ずかしくて中学生のころは

心斎橋などの知り合いに会わなさそうなところばかりで着ていたのが、

高校生になると堂々とロリータファッションで学校の周りのゲームセンターで

プリクラを撮るまでになっていた。

 

それから、趣味が同じ人とネットで知り合ってオフ会にも出かけるようになった。

周りにロリータを着ている同世代の子はいなかったから、ネットで

該当する女の子を探して、仲良くなって一緒にお茶したり買い物に行ったりした。

 そのときに知り合ったちょっと年上の女の子からメイクの方法を教わったり、

同級生からコーディネートのアドバイスをもらったり、

今でも参考になるなあと思えることをいろいろ教えてもらった。

みんな疎遠になってしまったので、もはやいま何をやっているかは知らないのだけど、

元気でやっていると良いなあ。

しかしいま思えば、ロリータファッションの中学生がネットで

知り合った人に会いに行くというのはかなりリスキー。

何事もなくて良かった。将来の子どもにはおすすめしない。

 

今となってはロリータを着ることはほとんどなくなってしまったのだけど、

それでも大事なワンピースはまだ持っているし、

なくなく手放したジャンパースカートなどもディテールはよく覚えている。

 

たまに街でロリータファッションの女の子に出くわすと、無性に応援したくなる。

彼女たちはただ他の人と同じように自分の好きな服を着ているだけなのだが、

私から見ると「戦っている」ように見えるのだ。何と?

それは、勉強と、両親と、学校と、同級生と、金銭と、仕事と。人によって違う。

それらと戦っていない人はロリータに限らず世の中にいないと思うけど、

彼女らは服装というアイデンティティを駆使してそれを具現化しているのだと思う。

「可愛いから着てるだけ」という気持ちだけでは続けられないファッションだから。