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「自分のやりたいことを伝えればいい」がつらい

その他

就職活動を始めてから現在に至るまでの

「ただ自分のやりたいことを伝えればいい」がつらいです。

 

小さい頃は絵を描くのが好きでした。

幼稚園の頃、母は先生から「娘さんは他の人と違う絵を描く」と言われたそうです。

少女漫画が大好きで、小学生になってからはハガキにイラストを描いて

小学生向けの新聞や「小学五年生」「小学六年生」に投稿していました。

(いずれも半分くらいの確率で掲載されていました)

同年代の子のイラストを見て、決して自分が一番うまいわけではないとは

わかっていたけど、自分なりの絵で食っていけるのでは、と考えていました。

当時通っていた塾の先生との面談でも、将来の夢は「漫画家」だと言っていました。

 

中学生になり、思春期になっていくにつれて、オタクっぽい自分の見た目も

いやになり、さすがに「少女漫画家」はきついな…と思っていたときに

出会ったのがラーメンズでした。

そのときまで、絵を描く仕事は画家かイラストレーターか漫画家か、

という発想しかありませんでした。

しかし、彼らのように美大を出てから、舞台にコントに映像に、

と表現の幅を広げて活動している人たちがいるというのを知って、

大きな衝撃を受けました。

彼らの周りのgood design companyやteevee graphicsにも憧れて、

とにかく美大に入れば自分のやりたいことへつながると考え、

美大の募集要項や近所の絵画教室の案内などを漠然と集めていました。

しかし、美大への進学に父から猛反対を受けました。

父は勉強しろ!の一点張りで、美大に行きたいというと、

殴られるわ、家から追い出されるわの毎日。

何を言っても全くこちらの意見は聞き入れてもらえず、

集めていた募集要項などを泣きながら捨てました。

(というのを10年経った今、ふと思い出してこの記事を書きました)

 

そうやっていろいろ模索していた時に広告批評という雑誌に出会い、

勉学の道からアートに近づけるかも…という理由で漠然と憧れ始め、

卒業文集には「広告代理店に勤めたい」と書いて中学校を卒業しました。

キャッチコピーひとつで商品を買ってくれる人がいる、

そんな仕事がとても魅力的に思えました。天野祐吉さんにも憧れていました。

高校に入ったとたん、広告批評は休刊まで1年、と宣言されたのには

打ちのめされましたが、そのあともこつこつ読んでいました。

 

高校生になってから、国語が壊滅的にできなかったので2年で理転。

もともとhtmlやcssを使ってホームページを作っていたので、

ネットから広告業界に入るのは面白そうだな、という気持ちがありました。

そんな生活を送っていた高校2年の時、修学旅行先の東京で

好きな仕事場や大学の研究室を回れる、というので

第一志望に広告代理店、第二志望に東大の情報系の研究室を書きました。

そうしたら職員室に呼び出されました。

「第一志望が文系、第二志望が理系だが、両方とも行くことはできない。

理系か文系か選びなさい」

ショックでした。そうか、この世の中には、

100%文系になるか100%理系になるかの選択肢しかないだと思いました。

結局、すでに理転していたので、東大の研究室を選択。

理系に進んだら広告も美術も仕事にはできないんだな、と感じた瞬間でした。

そこから、人生を方向転換。飛行機は好きだし、設計というデザインの仕事は

楽しいかもしれないと思い、大学は機械系を受験することにしました。

安定した、田舎の人も想像しやすいインフラに関わるということで、

特に親からの反発を受けなかったというのも大きな理由でした。

 

大学は現役で早稲田大学横浜国立大学に受かり、早大に進学。

入った学部は基幹理工学部という、情報系、芸術系、機械系、数学系など

2年からコースが選べる学部でした。

このときには、中学生のころ美術の道を猛反対した父が、

芸術のコースに進んだと聞くと学費を出さなくなるかもしれないと

本気で思ったし、情報系や芸術系の学科に進んで未練がましく

広告、美術を追っかけている自分を見るのも嫌でした。

その結果、迷うことなく機械系を選択。

結局、社会に出るのは嫌だなあと大学院に進学し、現在にいたります。

 

だから、「ただ自分のやりたいことを伝えればいい」がつらいです。

やりたいことを伝えて反対されたことしかないから。

のめり込めばそれなりに楽しくなるかも、と思い、大学では

懸命に機械の勉強をしましたが、今となっては何を目標に頑張っていたのか…。

将来の夢が欲しくて中小メーカーの設計部署や大手の研究所や

航空会社のインターンシップにも行きましたが、

中小メーカーはゆるすぎて、大手は固すぎて、航空会社はちゃらすぎて。

自分の居場所じゃないなあと感じるばかりでした。

今思えば、それでも頑なに美術を続けるなり、大学で情報系を選択して

そこから広告の仕事をするなり、いろいろ方法はあったのではないかと思います。

田舎の中学生が生きる世界は狭すぎました。

 

来年からの就職先は決まっています。どこまで続けられるかはわかりません。

でもこれまで選んだ選択に責任を持って、

ずるずると生きていくしかないのかなと思っています。

もし運良く結婚できて、子どもが生まれたら、

やりたいことを妨げない親になりたいと切に感じています。